虹の旅・・・49年ぶりの利尻・礼文島~利尻島
稚内から島に渡るときは揺れなくても
島から島に渡るときは必ず揺れるらしい。
どうしても頂上を見せてくれない利尻岳
もう、また寝るしかない。
島を愛す
山高くして 夢があり
山高くして 歌がある
ここ最果ての 利尻よ礼文~♪
鴛泊に着くと流れてきた歌で目を覚ました。
懐かしくて、今でも歌える歌だ。
49年前に、一か月間ほっつき歩いた北の大地。
青春時代に引き戻される。
朝一番のフェリーで着いて
鴛泊YHに荷物を預けて
島のよろず屋さんみたいなところでパンを買って
水筒に水を入れて利尻岳を目指した。
10人ぐらいいた。
そして頂上を踏んだのが4人だった。
若かったとしか・・・。
標準行程時間10時間
8時に港について
下山していたら、海に陽が沈む。
すごく焦って下山したことが蘇る。
さて、この旅の利尻島は
前回行きそびれた姫沼と
オタトマリ沼
沓形からの利尻岳の雄姿
君をたずねて 姫沼悲し 我ら島を愛して 旅を行く~♪
オタトマリ沼にもすっかり秋が来ています。
沓形の利尻温泉がお宿、そこからの夕景
とうとう頂上の雲がどいてくれなかったけれど・・・
赤く染まる利尻岳
何故、この山が心にずっと残っているのだろう。
串田孫一さんの日本100名山の第一座目であること。
それまでも山には登っていたけれど・・・
本格的に始めるきっかけになった山。
この山行がなければ
違う人生を歩んでいたかもしれない。
心を掴まれたそんな山だった。
夕食は海の幸が並んだ。
今回はGOTOキャンペーンを利用している。
一人旅の団体ツアー
一人旅だけどひとりぼっちではない。
いい塩梅な一人具合に満足していた。
旅の喜びは人との出会い
一人旅同士が湯につかりふれあう。
食事は、コロナ対策故に、ソーシャルディスタンスを保ちつつ
一方方向を向いてのお食事だったけれど、それもよし~。
夜のホテルの星空ツアーも嬉しい。
なんとこの宵は、月と火星の大接近が目の当たりに・・・
月影に現れる利尻岳のシルエットと傘雲と数々の星団
潮騒のうた。
朝焼けの海、有明の月
朝のごちそう
沓形岬公園を散策した。
ハマナスの残り花
とうとう、てっぺんは見せてくれないのか・・・
岬からは、ぐる~り120度以上はありそうなまるい水平線
礼文島が一望できる
時雨音羽といえば
定年まで勤めた会社の社歌の作詞者にこんなところで出会う。
帰りのフェリーからノシャップ岬、サハリンをは目をこらすけれど見えず・・・。
バスは稚内を出て、利尻を前方、右に見るころ
振り返ると岬の左方向にうっすらと島影を見る。サハリンだ。
真岡郵便電信局の女性電話交換手9人の最期(真岡郵便電信局事件)を書いた手記を
バスのガイドさんが読み上げてくれていた。
子どもの頃に本で読んだお話で
49年前に当地を訪れたときにも聞いていたことなのに・・・
すっかり忘れていた。
この旅でも、ガイドさんが話さなければ思い出しもしなかった。
皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら
涙が止まらないでいたら
後ろからトントンと呼ばれて振り返ると
サハリンから虹が立っていた。
見るなり、すぐに消えた。
見せたい人に見せたらすぐに消えると聞いたことがある。
9人の乙女が、今、こうやって語ってくれてありがとう。
思い出してくれてありがとう。
そう知らせてくれているように思えた。
この旅は虹を見る旅だったといえる。
旅に出る前に古くからの友人から借金を申し込まれた。
一度目は到底準備できない大きな金額だったので断ったが
二度目は貸した。
それが返却されないままに三度目・・・。
三度目は断った。
そして友人を一人失った。
そんなことがあって、この旅に出ることには抵抗があった。
キャンセルも効かないからと出てきた旅だった。
故に、テンションは嫌でも下がっていた。
この旅は、70歳、この歳でも仕事を頑張る私へのご褒美だった。
なのに・・・
何で、こんな気持ちで出なければならないのかと恨めしかった。
虹はそんな私を慰めて、旅の喜びを与えてくれた。
行くところ、行くところで虹が迎えてくれた。
ご褒美だよと・・・。
おかげで、しっかりと楽しめた。
虹と北の大地に感謝を!
出会ってくださった皆様に感謝を!
お楽しみ〆のエビ塩ラーメン!!千歳空港にて