めでたいというのは
めでたいというのは
さる人曰く
「おめでたいとは深い安堵感だということ。
去年もそうであったように、一昨年もそうであったように、今年も無事にお正月を迎えられた。あぁよかった」と思う安堵感だそうな・・・。
でも、そんなに安心していられるわけではない・・・。
明日何が起こるかわからない・・・。
そうじゃないですか?
だから有難い!。目出度い!
年とともに、お正月の有難さは形を変えてきているように思いませんか?
今、この歳の私には
一茶の「めでたさも中くらいなりおらが春」という心境がよくわかる。
目出度さが中程度と言うのではなく「中途半端」の意味らしい。
「老い先の見えた身で、正月の目出度さといってもいい加減なものですから、さして飾り立てもせずに新年を迎えよう」という意味らしいです。
たかがお正月・・・。されどお正月・・・。
やっぱり、きれいに片付けて、飾られた家に歳神様をお迎えしよう。
おせちにお雑煮、お屠蘇を酌み交わして、着物を着て初詣に行く・・・。
当たり前のお正月の行事をすることも、古きしきたりを大事に引き継いでいくことも大切。
何よりも幼き子たちへと引き継ぎたい。
とはいえ
もう正月ぐらいはのんびりしたいし・・・。
毎年、毎年、正月早々、ジレンマに苦しむ私です。
朝寝、朝酒、朝湯なんてのはお正月しか許されない・・・。
許せない・・・。
夜更かしするのもまたよしです。
さて、お正月は今日まで
明日から始動です。