叡福寺で豊かな時間が流れました
4/17の古事記のお勉強の日の午前中に
アーシャからのお誘いで
大阪府南河内郡太子町にある叡福寺に初めて訪れました。
太子町というのは
日本史最大のスーパースターの聖徳太子(厩戸皇子)からとられた地名だったのですね。
この辺り一帯は近つ飛鳥と呼ばれています。
飛鳥といえば奈良県の飛鳥となりますが
実は難波宮(現在の大阪市)から近い方を近つ飛鳥、遠い方が遠つ飛鳥と呼ばれていたのです。
そのため、現在の大阪府の南河内地方が
近つ飛鳥あるいは河内飛鳥
奈良県明日香村周辺が遠つ飛鳥
あるいは大和飛鳥となりました。
今の太子町は何の変哲もない鄙びたところですが約1400年前は日本の中心地だったわけです。
その二つの飛鳥を結んでいたのが
日本最古の国道である竹内(たけのうち)街道で、飛鳥時代では高速道路か新幹線のようなものだったようです。
さらに竹内街道はシルクロードの東端とも言われ、二つの飛鳥に大陸文化をもたらしたのです。
訪ねた数日後には燈花会があるとのこと
あちこちにろうそくを設置する場所には
地面に直接、下書きがなされていました。
ろうそくの明かりに浮かび上がる幻燈絵を見てみたいものです。
願いを書いたろうそくを寄進させていただきました。
「父が戦争から帰って生き切った物語を書かせてください」と記してきました。
この日は
この春の最後の桜を愛でることもできて
日輪も見せていただきました。
豊かな時間が久しぶりに流れるのが
有り難い遅い春のお昼前でした。