日々を丁寧に暮らして

ゆーすげのセカンドライフ

旅の目的・・・父の足跡を訪ねる。

16日、旅の最終日

一番の目的だったかもしれません。

父が学んだ陸軍兵器学校があった
麻布大学獣医学部を訪ねて
その場所に立ってきました。

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朝、桜木町から淵野辺に向かいます。

横浜線が運転見合せって!

エーッ!そんな…
とにかく東神奈川まで行こう。

降りたら
向かいのホームから
動き始めた電車が出るところでした。
よかった!

たぶん
全部上手くいくんだろうな…
根拠なく
その時にそう思いました。(笑)

もうすぐ淵野辺
雲が龍になって
電車と並走してる!?

陸軍兵器学校の校舎の跡に
麻布にあった
麻布獣医畜産専門学校が空襲で焼けだされて
この地に移って
麻布大学獣医学部となっている。

駅から一本道を15分ほど歩く
道すがら
静かに涙が流れ続ける。


この冬で一番の寒気を体感しながら
冷たい風のせいだ!

私は目の粘膜が弱いから
寒風に吹かれると涙が流れる。

そうだったはず…
感情が動くことで流れる涙とはまた違う!

まただ!
また、誰かが泣いてる。

いきなり
旧正門前
記念碑の前に立っていました。

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まるで時間が歪曲したような感覚がありました。

大学の一つの門から入って
若い守衛さんに
元兵器学校があったところに立ってみたいからと
場所を訪ねました。

当然ですね・・・。
全く降ってわいたような話って顔をしていました。

でも、とても親切に
管財課の職員さんに訪ねてくださいました。

担当の管財課の職員さんが
昭和55年から勤務している職員さんと
一緒に出てきてくださって
話を聞いてくださいました。

父は平成元年の3月に68歳で亡くなりました。
亡くなる1年前の昭和が終わる63年に
ここを訪ねています。

その当時は
学生会館となって
兵器学校の当時の建物が現存していたそうです。

嬉しかっただろうね・・・。おとうさん

その建物もその後焼失したとのことで
往時の面影は消えていました。

すっかり
近代の建物に建て替えられたキャンパス

平成の時代のスピードのすさまじさを思い知りました。

年史から往時をしのぶ写真のコピーをさせていただき
そこに
学生寮の内部の写真など
あの永遠のゼロの映画で登場した
航空訓練生たちの宿舎内と全く同じものを見て
父たちが厳しい訓練と学習生活の暮らしを
思い描かせてもらいました。

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情報センターの職員さんや
博物館の職員さん
誰方からも親切にしていただきました。
ありがかったです。

まさに跡地と思える場所に
元本館、学生会館の跡を掲載している看板が設置されてあり
このあたりを歩いていただろう父やその同窓の若き姿に
出会わせていただきました。

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前庭跡のベンチにしばらく座って
目を瞑ると
頭上を飛び交う飛行機の轟音が 
深い意識の淵に誘ってくれます。

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時代に翻弄されながらも
若き父たちの
高くて清廉で一途な志や思いが
胸に迫まって泣きたくなってしまいます。

泣くだけ泣いたら
すっきりして
この場に立てた歓びに満たされました。

震える私を
父の古いアルバムにある写真に
写り込んだ木々が
時を経て
大木となって
私を見下ろしていました。

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帰阪の途上
書きたいことが溢れました。

書いていこうと思います。

今と過去を結ぶ記憶を残すために。