虹の旅・・・49年ぶりの利尻・礼文島~稚内へ
3月から始まったコロナ自粛
よく頑張ってじっと我慢したし
仕事もしっかりした
この辺でご褒美をあげることにしました。
何がしたい?旅がしたい!
何処に行きたい?北がいい!
紅葉も始まっているかな?
ならば北海道、しかも北の果てに~。
10月5日7:55伊丹発、JAL便にて千歳へ
昔、鉄道で北上したルートを
千歳~砂川~留萌~小平~稚内までバスはひた走る
49年ぶりの稚内へ向けて
3日間、雨の予報でも、青空が広がっている。
海は時化て荒れている。
小平のニシン御殿で休憩。
明日の船は大丈夫だろうかと不安がよぎる。
果たして・・・。
廃屋が続く晴れた道
開拓の歴史、自然との闘い、人々の暮らし
時化る日本海
旅のお伴はいつも虹だった。
この虹は圧巻だった。
ここに来るまでの憂愁を吹き飛ばしてくれた。
旅を肯定してくれていた。
スケールまで写しきれないことが残念!バスの車中だしね・・・。
利尻島が見えてから、夕陽が沈むまでたっぷり楽しむ。
窓側でないことが残念!!!
49年ぶりの稚内に記憶の切れ端を捜しても見付からるはずもない。
北の果ての駅舎の風情はない。
駅から桟橋に向かう道に夥しい数の魚が落ちていた。
踏みたくなくて、よけて歩いた。気持が悪かった。
たぶん、この道だろうと思うけれど、そんな影もない。
大正時代からの樺太航路の要衝としての稚内港を守る北海道遺産の北防波堤
昭和6年に北大を出たばかりの26歳の技師の青年が
設計し現場を指揮して建てたもの
ここにも歴史の遺産がある。
求めていた記憶の欠片を見付けた。
昭和30年からやっているという鮨屋でおまかせで寿司をつまむ。
親父さんが同世代ぽい。
49年前の魚がばらまかれていた話をしてみた。
あの頃は魚がいくらでも獲れた。
トラックに山積みだったから
いくらでも落として行った。
魚は肥料にするしかなかったという話をこともなげに話す。
私と同じく一人旅の女性と
札幌から転勤でという若い人が一人で飲んでいた。
常連らしい男女。
「おひょうが揚がってたから買ってきた」
親父さんが最高のネタばかりで握るよと言う。
そういうお寿司が旨くないはずがない。
2皿目は、ウニ、いくら、数の子だった。
たぶん、しばらくは
この上をいくものには当たらないだろう。
旅の鉄板は
地元に古くからある店に行く!
ごちそうさまでした。
旅の宿は、たぶん稚内最新のホテルだろう。
海に面していて、北防波堤ドームが見渡せた。
明日は、5時に出る。
利尻に向かう。