しつもんzen瞑想記録59日目
瞑想する直前に
笑って話していた。
雑念・雑音を払うために瞑想しているのに・・・
雑念・雑音だらけになってしまうというあるある話。
後で気付いたのだけど
これまで、雑念・雑音というラベルは貼ってこなかった。
はじめて名前を付けたら
その言葉に引きずられているられている自分を発見した。
瞑想するときに
外から五感に届く音も光も匂いも体感覚も
雑音とは捉えていなかったから・・・。
これまでは中から湧いてくるものを
雑念というくくりには入れていなかった。
はじめて雑念に入れていた。
すると
雑念に覆われた。
そりゃ~、人生なんて雑念だらけやん~
抵抗していたらしい。
後で思えばね。
そんな抵抗をあざ笑うかのように
カラスがひときわおどけて鳴いた。
クスっと笑えてきた。
カラスは神の使いかと思うほど
ジャストタイミングで今ここよと
愛の手を入れてくれる。
もう、瞑想の相棒みたいなもの。
剥がす必要などもうどこにもない。
そんな自分を面白いと感じている。
今ここにいる。
吹く風に意識をしていたら
潜在意識と今ここを行ったり来たり・・・
雑念という言葉にとらわれているから
また、雑念を呼ぶ。
そこにジャッジが見え隠れ。
やけくそで
思い切り雑念に塗れてやろうと
雑念をとりに行く。
そうしたら、えらいもん見ました。
そこには
大鍋で「感情」というスープをぐるぐるとかき回している
100年も200年も同じことをしている
魔女のようなおばあさんがいる。
とりもなおさず、それは私の姿だった。
どろどろになった野菜のスープのあめ色に
あくが浮き上がってくる。
「あくはちゃんと取ってよ!」
澄んだスープにならないよ~と
今の私が何回も突っ込んでいた。
雑念も雑音もないと師匠は言う。
そこにあるだけの事象と感覚と感情
あのおばあさんの正体は何だろう
見たいな~と
振り返る今朝の瞑想?でした。